STORYストーリー

2025年2月20日

連載第3回

立ち直りかけた矢先の豪雨被害。
いまできることを考え続ける。

この記事は2024年12月19日の取材時点の内容を
もとにしています。
現在の状況とは異なる場合がありますが、
復興に向けたその時々の歩みや思いを
そのままお伝えします。

能登地方で経験したことのない豪雨

9月21日、能登地方を襲った豪雨のことを話します。その日、携帯電話の天気予報アプリから、輪島地方で豪雨という警報がありました。能登島でも今までに経験したことのないような強風と叩きつけるような豪雨。輪島に住む母から電話があり、第一声が「キャー」と言う叫び声でした。「大変なことになった。いま窓から外を眺めているけど、すぐそこまで水が来ている。玄関から入ってくるかもしれない!」と。「早く2階に上がって!」と伝え、母のそばにいた従兄弟に電話をかわってもらい状況を聞くと、「倉庫に2メートルぐらい水が入ってきて、2階に避難した。何が起きているかわからない」と混乱している様子でした。

美しく穏やかな川が氾濫する異常事態

豪雨のなか、輪島に向かうことを決め、車を出しました。輪島の途中にある三井町のあたりで、警察官がパトカーを道路に横付けし、行き止まりを告げていました。ここから先は道路が危険だと。もし通過する時間が少しでも早かったら、私の車も危うく流されていたところでした。輪島の従兄弟にふたたび電話をすると「川が氾濫して、陸まできている」と。送ってくれた映像を見て、こどもの頃に遊んだあの穏やかな川がと、信じられない思いでした。とにかく安全に、身を守ってと、言うことしかできませんでした。いったん能登島に引き返し、一晩寝て、翌朝4時に起き、おにぎりと豚汁を持って輪島に向かいました。

地震から立ち直りかけた矢先の災害

私の親戚は輪島の同じエリアに固まって住んでいます。元日の地震でどの家も被害を受けましたが、壊れたものを修復し、なんとかもう一度住んでいこう、やっと立ち直れたと思った矢先に今回のことが起きました。実家の「民宿さかした」も豪雨で1階部分が浸水し、地震以上の被害を受けました。母は毅然としていましたが、親戚はみんなうなだれて、目の焦点も合わない状態でした。心が折れるどころか、心が折れ曲がってしまって、何も反応がありませんでした。食欲はないかもしれんけど、おにぎりと豚汁をとにかく食べて、としか私には言えませんでした。

やってもやっても終わらない泥かき

それから毎日、泥かきのために輪島に向かいました。泥は臭いし、身体に悪いものが含まれています。泥が乾くと悪いものを含んだ茶色の粉が空気中にまいあがる。私はアナフィラキシーの症状を持っており注意が必要なので、ゴーグルをしていてもまともに息ができない。でもまわりを見ても、みんな泥かきをしていました。粘土のようにカチカチになった泥に水を含ませて、スコップで捨てる作業を何度も繰り返しました。壊れたものや使えなくなったものを、母に捨てていいよねとひとつひとつ確認しながら、捨てていきました。やってもやっても片付かない。徹夜で作業して涙が出ました。なんで輪島だけこんな仕打ちを受けるのかなと、父親の位牌がある仏間にこもり泣きました。

何も言葉が出てこない災害の傷跡

地震の後、仮設住宅に住んでいた友人がいました。着物や冠婚葬祭用の服など、大切なものだけを仮設住宅に運び、いらないものは公費解体する自宅に置いていました。ところがこの水害で仮設住宅が水に浸かり、大切なものが一瞬にしてダメになってしまったと聞きました。母を連れて地域の被害を見に車で出かけたときのことです。地震後には壊れた建物や道路を見て、「あー、こんなになってしまって」といちいち声をあげていた母が、今回は何も言葉を発しませんでした。美しい川を大きな倒木がふさいで水をせきとめていたり、橋板が壊れて宙ぶらりんになっていたり、洪水で木っ端みじんになった家をただ見つめていました。

ひとつひとつ思い出が失われていく

いま輪島の人口は減少しています。行くたびに家がなくなっていたり、好きなお店がなくなっていたり。私にとっては、ひとつひとつが思い出です。報道で輪島の豪雨の映像や、家が壊れている映像を見ると涙がポロポロ止まらなくなります。地震から数ヶ月が経っても、撤去が進まず壊れた家屋がぐしゃっとなっていました。その光景を辛く感じていたところに、追いうちをかけるように大雨と洪水の被害がありました。親戚の尊い命も失われました。住む家がなくなり、能登を離れる人がさらに増えました。

それでも店の灯りを点し続ける

能登は二重被災をしたことで観光客がピタリといなくなりました。もともと観光客は戻っていなかったけれど、応援のために来てくれていたような方もほとんどいなくなりました。いま能登島の「海とオルゴール」に来店されるお客様は1日2組ぐらい。数年ぶりや、数ヶ月ぶりに、ふと思い出したようにいらっしゃる地元の方がほとんどです。海を眺めながらゆっくりコーヒーを飲んで、「やっぱり、ここに来てよかった」と一言残してくれるお客様の存在に救われています。売上は人件費にもならないけれど、20年の歴史の中でご縁のあった方々、海が好きで、イルカが好きで、このお店が好きな人が、こうして帰ってこられる場所を提供できているのかなと思って、お店の灯りを点し続けています。

いま自分ができることをしていくしかない

とはいえこのままでは利益が生み出せません。イルカウォッチングの出発拠点がある和倉店でも、飲食業と菓子販売を開始することを決めました。和倉温泉の宿泊施設もようやく解体、改修がはじまり、再開に向けた動きが見えてきました。解体事業者の方も多くいるので、昼も夜も飲食のニーズはあると見込んでいます。お金はかけられないので手作りで看板をつくったり、のぼりを立てたりして、お客様が来てくれるのを待ちます。これからどうなるのか考えたり、不安になったりしていたら、ますます落ち込んでしまう。あきらめたらそこで終わりです。だからいま自分ができることをやって、立ち向かっていかなきゃと思っています。情熱を持って取り組めば、それは必ず人に伝わると信じています。

海とオルゴール(能登島マリンリゾート)
石川県七尾市能登島曲町2部乙2-7
https://www.umi-to-orgel.com/

※この記事は公開時点、または更新時点の情報を元に作成しています。

この記事を書いた人

執筆

羽生 貴志(はにゅう たかし) | ライター

ライター。株式会社コトノバ代表。「コトのバを言葉にする」をコンセプトに掲げ、いま現場で起きていることを、見て、感じることを大切に、インタビュー記事や理念の言語化など、言葉を紡ぐことを仕事にしています。

https://www.kotonoba.co.jp