STORYストーリー
たくさんの人との出会いに支えられて今がある。地元、お客様、スタッフを幸せにするお店がつくりたい。
- 北出食堂
- 北出茂雄
- (きたでしげお)
コーンが香ばしい手のひらサイズのトルティーヤに、様々な具材が乗ったメキシカンタコス。種類は豊富で、見た目にも楽しい。ニューヨーク滞在中、その美味しさに衝撃を受けた北出さんは、帰国後、日本橋馬喰町のオフィス街にタコスを看板メニューとする「北出食堂」をオープンする。北出さんは、もともと飲食業を志していたわけではなかったが、人生の岐路でたくさんの出会いがあり導かれてきた。クラブDJ。レゲエを追い求めた海外渡航。英国でのボランティア。多様な人種、個性的な人々との出会い。スタイリッシュなパブやカフェ。新鮮なライフスタイル。バーテンダー経験。ニューヨークでの新店オープンの責任者など…。 すべてが今につながっている。無理かもしれないこともまず言葉にして、そこに向かっていくことで、困難はあっても人に支えられ、叶えることができた。だからこそ「北出食堂」を「人と人が出会い、みんなが幸せになれる場所にしていきたい」と語る北出さんに、お店づくりの想いを聞いた。
母親に喜んでもらえたことがお店の原点
小学生の頃、家庭科で最初に習ったのがスクランブルエッグです。母親に食べて欲しくて、チーズを入れてみたり、納豆を入れてみたり自分なりにアレンジをして、毎日のように作っていました。母親はとても喜んで食べてくれた。その姿を見るのが嬉しかったんでしょうね。人に喜んでもらうことが好き。それが自分のお店の原点になっていると思います。
中学時代は仲間たちとバレーボール部に入り、部活に明け暮れていました。中学卒業の直前に、兄の影響でサーフィンをはじめます。車で連れていってもらえない日には、サーフィンボードを抱えて電車に乗り、海まで通っていました。当然、お金もかかります。それでリサイクル会社でアルバイトをして、真っ黒になりながら働き、お金を稼いではサーフィンに行く。そんな生活が始まります。自分のクルマを持ち始めてからは週に5回は海に行くように。中毒みたいなものですよね。自分は飽き性だと思っていたけれど、好きなことを見つけると極めたくなるタイプ。今はタコスを極めようとしていますが、根っこにある性分はこの頃から変わらないですね。
お客様に喜んでもらえる職に就きたい
一生サーフィンは止められないなと思っていたのですが、自分の車でサーフィンに行くようになり、車内で聴いたレゲエにめちゃくちゃハマりました。今まで知らなかった新しい世界を発見し、興味の幅が広がりました。奥が深くて知れば知るほど興味がわいてくる。レコード屋さんに通い、自分で作ったミックステープを聴きながらサーフィンに通うようになります。生活の中で音楽が占める比重が増えていく。20歳を過ぎて、クラブに通い始め、DJ活動をスタートしました。サーフィンは朝の波がいいので、明け方までクラブにいて、寝ないでそのまま海に行くようになりました。若いとはいえ体力にも限界がありますよね(笑)。どちらもほどほどにやればいいのですが、好きなことは極めたくなる性分です。中途半端はやめて、サーフィンか、クラブDJか、どちらかを選んだほうがいい。そのとき思ったのは、クラブDJにはお客様に楽しんでもらえる快感があるということ。自分のかけた曲でフロアが盛り上がる。人に喜んでもらうことが好きだから、そこを極めたい。DJとして本格的に活動して、職業として食べていけるところまで挑戦したい。そう考えるようになりました。
レゲエを追い求め、海外渡航し英語を勉強
レゲエの歌詞の意味を理解したくて、英語をもっと知りたいと思うようになります。もともと英語はまったくダメだったので、独学しながら、海外に留学するための貯金をはじめます。働いて3年で約300万円を貯め、まずはレゲエの本場ジャマイカに行きました。でも、行ってみたら楽しすぎて、ここでは勉強ができないと気がつき、もう一つの聖地ニューヨークを目指します。学校を探したところ、手元のお金ではすぐに尽きてしまうことがわかりました。現実は厳しい。何かいい機会はないかとネットで探して見つけたのが、ボランティア留学です。英語圏がよかったのでイギリスを希望して合格。1年のビザをもらいます。23歳頃のことです。
寝床と食べ物、仕事は用意してもらい、ポーツマスの近くの島にある老人ホームで、ボランティアをすることになりました。エレガントな英語を話す清楚な老人のお世話をします。言葉の壁があるので心を許してもらえる関係になるまで、最初は大きな苦労がありました。でも、おじいちゃんやおばあちゃんはとても優しくて、スタッフとも仲良くなり、みんながとても可愛がってくれました。人に関わる仕事は楽しかった。やっぱり自分は人に喜んでもらえることが好きなんだと再確認しました。日本人なんて誰もいない環境で、英語漬けの生活に自分を追い込んで、たくさんコミュニケーションをして、気がつけば英語にも慣れていました。
人に喜んでもらえる飲食をやりたい
1年間のボランティアが終わり、もう1年ロンドンで英語を勉強しました。イギリス時代はとにかくパブやカフェに行きまくっていました。どのお店も店主の個性が色濃く反映されていて、インテリアや照明でライフスタイルを表現していてかっこよかった。いつかこういうお店を持ちたいな、飲食店っていいなと思うようになりました。
この頃、DJ活動も続けています。ターンテーブルとレコードを担いで、お店に行き、頼み込んでDJをやらせてもらっていました。国籍も人種もさまざまな人々が、レゲエが好きという共通の趣味で仲良くなって盛り上がる。楽しかったけれど、DJとしてはやっぱりレゲエの聖地ニューヨークで勝負をしてみたいという気持ちがどんどん募っていきます。もうじき20代後半に差しかかるけれど、学生ビザをもらって、思い切ってニューヨークへと旅立ちます。
最初の1年はバーへの飛び込み営業などをして、DJとして本気で活動していました。でも年齢も年齢だし、これで食べていくのは大変だなと思うように。そんなとき、ニューヨークで飲食店を経営する日本人オーナーで、後に「北出食堂」の共同経営者となる鈴木と出会い、バーテンダーとして働くようになります。
タコスの衝撃。日本でやるならこれだ
ニューヨークのお客様は、店の常連になりたい気持ちでバーに来る。とてもフレンドリーです。対等の関係性ができて、打ち解けた会話ができるし、ホームパーティにもしょっちゅう招かれていました。2007年当時、ブルックリンは面白い人が集まり、個性的なお店が次々オープンしていました。エネルギーに満ち溢れていた。飲食店は横のつながりが強く、お互いに行き合い仲良くなっていきました。近隣のいろんな料理を食べ歩き、そのなかでメキシカンタコスに衝撃を受けました。
それまで自分が知っていたタコスはパリパリしたもの。まず柔らかいトルティーヤがあることに驚いたし、手のひらサイズの小さなトルティーヤに、具材が乗っているのも面白かった。豊富なメニューをあれこれ試して、アイデア次第で具材のバリエーションが無限にあると感じました。和食のテイストを合わせることもできる。もし日本で自分がお店をやるなら、これがやりたいなと閃きました。そうでなくとも、日常的に自分が食べたいと思う料理でした。
バーテンダーを約3年経験し、その後、新規オープンする店舗で料理のチーフを任されるようになり、どっぷりと飲食の世界に浸かるようになっていきます。
まず言葉にして、そこに向かっていく
お店にもともとあったレシピに加えて、自分のアイデアを加えて料理をしていくようになります。お客様に喜んでもらえるような飲食店は何かを極めています。“NO MSG, NO GMO”(※化学調味料なし、添加物なし)というオーナーの鈴木の考え方にはとても共感していました。ビーガンやベジタリアンといったライフスタイルの人たちは、そういう生活が好きというよりも、制約があることでクリエイティブな発想ができることを楽しんでいる。同じように、日本食であっても、日本とまったく同じ材料にこだわるのではなく、その土地にあるものを使って料理するところにクリエイティブな面白さがあると思いました。「北出食堂」でもそこを極め、安心安全な食材、健康にこだわることは踏襲しています。
ブルックリンではいつかは自分のお店をやろうと思い、店づくりのための人脈を築いていました。でも、ビザや結婚などの様々な事情が重なり、日本に帰国することに。思い描いていたのはタコスとコーヒーだけの小さなお店を開きたいということ。それにニューヨークで出会ったタコスという新たな食文化を、日本に広めたいという思いもありました。
とはいえ日本で何かツテがあるわけではありません。突然、無職になって、第一子が生まれることもわかりました。弱気になり、1年ぐらいどこかのお店で準備してからお店を開こうか、そんなことを考えていたら、周りの人から「今の熱い気持ちを大事にしたほうがいい」と背中を押されました。そして運命的に出会ったのがこの物件です。
地元に根付いたお店にするということ
日本橋のこのエリアは飲食店同士の結びつきが強く、地元を盛り上げていこうという気持ちを持った人がたくさんいます。ブルックリンと同じように自然にお店とお店がつながっていく。自分も地元に根付いたお店をつくり、地域を盛り上げていく存在になりたいと思いました。でも正直なところ、最初は不安な気持ちが強かった。そんなときニューヨークでの経験を思い返します。向こうでは「僕はDJだ」と宣言すれば、その肩書きで認めてくれる。自分を肯定して、何でもできる気持ちにさせてくれました。そして言葉にすることで、支えてくれる人が現れる。待っていたら何もできません。とにかくやってみるしかないんです。
お店は当初想定していたよりも広くなったので、メニューを増やし、テーブルでの接客もすることにしました。2013年のオープンから7周年。お客様が増え、スタッフも増えました。地に根ざしたお店を目指して、一歩ずつ着実に歩んでいます。今後も、おじいちゃん、おばあちゃんから子どもたちまで、幅広い年代のお客様が気軽に来られる場所であること。人と人が出会い、幸せな時間を過ごせる場所であることを、大切にしていきたいと思っています。
つくりたいのは人に喜んでもらえるお店
おかげさまで姉妹店もオープンしました。店舗が増えたことから、売上分析を精緻に行っていく必要性を感じ、飲食店の経営支援をしてくれるAirメイトを利用し始めました。同時にAirレジ、Airペイ、Airシフト、レストランボードを導入し、データを一元管理しています。先を見通すことが難しい時代でもあり、データを分析して月次でスピーディに軌道修正していくことはとても大事だと思います。
今後は、こうしたデータをスタッフにも共有して、お店を経営していく意識を高めることもしていきたいと思っています。お客様が喜んでくれる姿を見ることが栄養になる人に働いて欲しいけれど、それだけでなく、飲食店でどうやって生計を立てていくか、そこを考えることもできれば彼らの将来の可能性をもっと広げられると思っています。スタッフみんなをどうやって幸せにするか。それは、いつも意識していることです。
あとはやっぱり「タコス」を日本の新たな食文化として定着させたいですね。タコスで日常の食生活に幸せを感じる人を増やしたい。タコスを日常に根付かせるなら、日本の食材にこだわることも大事です。3年前には、コストの面で周囲から絶対無理と言われていた国産とうもろこしの製粉にもチャレンジしました。壁はありましたが、力を貸してくれる人が現れ、今では国産タコスをお店で提供することができています。まずは言葉にして、そこに向かっていくこと。いろんな人と出会って、想いを口にしていけば、どんな夢も叶えることができると信じています。
- 北出食堂
- 東京都千代田区岩本町1-13-5 8ビル
- 03-6240-9920
この記事を書いた人
羽生 貴志(はにゅう たかし) | ライター
ライター。株式会社コトノバ代表。「コトのバを言葉にする」をコンセプトに掲げ、いま現場で起きていることを、見て、感じることを大切に、インタビュー記事や理念の言語化など、言葉を紡ぐことを仕事にしています。
https://www.kotonoba.co.jp前康輔(まえ こうすけ) | 写真家
写真家。高校時代から写真を撮り始め、主に雑誌、広告でポートレイトや旅の撮影などを手がける。 2021年には写真集「New過去」を発表。
前康輔 公式 HP http://kosukemae.net/