STORYストーリー

うどんを打って40年。お客様とともに歩んできた歴史。 今もいろんな人と出会い、刺激をもらうことが楽しい。

  • 四ツ木製麺所
  • 守田良一
  • (もりた りょういち)

安価で楽しめる居酒屋が建ち並ぶ京成立石駅。アーケードを抜け、歩くこと数分。こんな閑静な住宅街に飲食店があるのだろうか? と思い始めたころ、路地裏で見つかるうどん屋が「四ツ木製麺所」だ。店主の守田さんは、この道40年を数えるうどん職人。フランチャイズのうどん店で経験を積み、27歳で独立。知人と共同でうどん店を経営し、最盛期には銀座や上野などの繁華街で7店舗まで展開した。しかしバブル崩壊により業績が悪化。事業を清算し、一度はうどんから離れることも考えた。しかし同業者から「守田さんのうどんが欲しい」と懇願され、四つ木に製麺所を立ち上げる。卸だけでなく一般にも販売をすると、毎週のようにうどんを買いにくるファンができる。「おやじさんに飲食店をやって欲しい」そんな声に応えるように2014年、守田さんは、うどんと酒やつまみを提供するうどん居酒屋をスタートする。

人との縁からうどんと出会う

私は偶然にうどんと出会いました。きっかけは24歳のとき。当時私は、お茶関係の営業の仕事をしていました。私は誠実にお客様と向き合っていましたが、会社とは考え方にズレがあり、取引先のお茶屋さんとの間で値引きに関するトラブルが起きました。営業マンの考えを信じてくれない会社でした。“人を大事にしないこの会社は辞めよう。でもご迷惑をかけたお茶屋さんに、誠意を持って話がしたい”。出入り禁止で、すぐには会っていただけませんでしたが、何度も、何度も通い詰め、ようやく事情を話すと「そうだったのか。そんな会社は辞めていい」と。実は「もう辞表を出しています」と答えると「うどんのチェーン展開をしている先輩がいる。そこで働いてみないか」と誘われました。それが現在まで続く、うどんとの最初の出会いです。もしこのお茶屋さんがいなければ、私はうどんと出会っていなかった。そこから今までずっと、人の縁というものが私を導いています。

独立し、銀座でうどん店をはじめる

入社したうどんチェーンは若い店長が多かった。負けず嫌いなので、他の人に負けたくない。がむしゃらに働き1年後には店長になりました。数店舗で店長を経験し、1年後には、銀座本店の店長になりました。私がうどんと出会ったのは人とのご縁によるもの。人とのご縁を何より大切に、お客様との関係づくりに一番力を入れてきました。店舗を異動しても「次どこのお店に行くの?」と、追いかけてきてくれるようなお客様もいました。27歳のとき、上司とともに独立し、開業の準備をはじめます。縁のある銀座で勝負がしたい。でも開店資金を調達することは難しく、金融機関はなかなか対応してくれなかった。あるとき同年代の銀行マンと出会います。その人が“自分と同じ若い人に賭けたい”と支店長を説得してくれて、融資を受けることができました。銀座5丁目で念願のうどん店を開業。1年半後には当初計画していた以上の売上を記録し、2店舗目を上野広小路に開店。そこからトントン拍子で店舗を増やし、最盛期には7店舗まで事業が拡がります。

バブルが弾け事業を清算することに

繁華街に店舗を構え、夜遅くまで営業していたことから、深夜の時間帯にいらっしゃるお得意様が多いうどん店でした。バブルが弾けた影響は大きかった。夜に飲み歩く人がガクンと減りました。売上が減り、繁華街の高い家賃を払うことが、大きな負担となりました。店を続けていくことは難しく、段階的に整理をしていくことに決めました。うどんからも離れよう。すると姉妹店を経営していた同業者から言われます。「なんとか、守田さんのうどんを作り続けて欲しい。もう他のうどんでは替えがきかない」と。私のうどんを求めてくれる人がいる。そこで、共同経営していたパートナーの実家がある四つ木に製麺所を作りました。直営店は一気にたたむわけではなく、しばらくは製麺所でうどんを作って各店舗へと配達。ご要望のある同業者には卸販売をしました。そのうちに直営店はすべて清算し、四ツ木製麺所だけが残りました。

製麺所に通ってくれるお客様の存在

製麺所では一般の方にもうどんを販売しました。するとファンになってくれて、毎週のように通ってくれるお客様ができました。顔馴染みになり、花見にも誘われます。「おやじさん、料理人でしょ。何か作ってよ」と。料理を持参すると、みんなが喜んでくれる。そのうちに「おやじさん、絶対お店をやって」と言われるようになります。建物の都合で製麺所を移転することになり、短期間で見つけたのが今の場所です。立石の住宅街の真ん中。かつて工場として使われていた建物で、周囲には家しかありません。とても飲食店を開くような立地ではなかった。でも家賃は安いし、今まで通ってくれていたお客様が、本当に私のうどんのファンだとしたら、たとえ場所がどこであろうと来てくれるだろうと信じました。引っ越しまでの期間が短く、慌ただしく移転をしたため、四ツ木製麺所という名前はあえて残すことにしました。同じ名前であれば、きっと探しあてて、訪ねてきてくれる人がいると思ったのです。

自分のお店のように手伝ってくれる人たち

移転から約半年後、製麺所から飲食店へと業態を転換しました。うどんだけでは経営が難しいこと、またお客様からの要望もあり、お酒も料理も楽しめる“うどん居酒屋”というスタイルではじめることにしました。問題はこの立地です。どうすれば人に来てもらえるのか。支えとなってくれたのは、古くからつきあいのあるお客様たちです。インターネットを活用して、お店のことをどんどん宣伝してくれます。駅前の人気店を目当てに立石に来る人に、2軒目として訪ねてもらえるような戦略を立てたり、何度も来ることが楽しくなるようなグッズを企画してくれたり、まるで自分のお店のように手伝ってくれる。次第に認知度も上がり、立石を飲み歩く人のプランに組み込まれるようなお店となっていきました。

温もりを大事にするためにシステムを使う

お店の運営を考えて、いろいろなシステムの提案をしてくれたのもお客様です。特にコロナ禍で、考えなければいけないことが増えました。まずは増加するキャッシュレスに対応するため、2020年に「Airペイ」を導入しました。そこから2年後、レジを「Airレジ」に入れ替え、「Airレジ オーダー」を使い始めました。お客様に自分のスマホを使って注文してもらうシステムに抵抗のある方もいると思ったのですが、操作がわからなければ、うちの70代のスタッフが「一緒に覚えましょうよ」と教えます。お客様も「じゃあ、覚えてみようか」と操作をしている。そんな場面もみかけます。「Airレジ オーダー」は、接客を簡易化するためではなくて、むしろ接客を大事にしたいからこそ使っています。お客様は好きなときに注文ができるしミスもない。スタッフにとっては、注文にかかっていた業務の負荷が減るので、料理をオススメしたり、居心地をよくしたりといった接客にもっと力を入れられる。温もりのあるお店にするためにこそ、システムを有効活用しています。

人との出会いが人生の財産

うどんを打ち続けて40年以上が経ちました。紆余曲折を経て、今もこの場所でうどんを仕事にできています。私のこだわりは最後の一押しは人間の力で行うこと。うどんを作る機械の性能はよくなりましたが、人の手をかける部分は残していきたい。温め直すのではなく、常に茹で立てのうどんを提供することにもこだわります。四ツ木製麺所は、お客様のこんな飲食店が欲しいという願望を形にした場所です。お客様との信頼関係がすべて。地域の一員として子ども食堂の活動をしたり、地元サッカークラブのサポートをしたり、人とのつながりから、お店の新しい活動もはじまっています。この年になっても、まだまだ多くの発見があり、刺激をもらって楽しんでいます。いろんな人と知り合えてきたこと、それが人生の財産ですね。このお店があることで、これからも新しい出会いが待っていると思います。

  • 四ツ木製麺所
  • 東京都葛飾区東立石2-11-7
  • 03-5670-7610
※この記事は公開時点、または更新時点の情報を元に作成しています。

この記事を書いた人

執筆

羽生 貴志(はにゅう たかし) | ライター

ライター。株式会社コトノバ代表。「コトのバを言葉にする」をコンセプトに掲げ、いま現場で起きていることを、見て、感じることを大切に、インタビュー記事や理念の言語化など、言葉を紡ぐことを仕事にしています。

https://www.kotonoba.co.jp
撮影

前康輔(まえ こうすけ) | 写真家

写真家。高校時代から写真を撮り始め、主に雑誌、広告でポートレイトや旅の撮影などを手がける。 2021年には写真集「New過去」を発表。

前康輔 公式 HP http://kosukemae.net/