STORYストーリー
日本独特の“和ガラス”の魅力を発信し、多くの人に知ってもらうきっかけを作りたい。
- 廣田硝子
- 廣田達朗
- (ひろたたつあき)
日本で西洋式のガラス製品が普及し始めたのは19世紀後半のこと。明治維新後の文明開化のもと、日本のガラス職人は外国人技師から技術を学び、西洋の技術に日本の美意識をかけあわせた芸術品の「和ガラス」を生み出した。同じ時期、職人たちの懸命の努力により日本におけるガラス制作技術が大きく発達し、ランプのほや・コップ・ビール瓶・醤油差しにいたるまで、さまざまな生活日常品がガラスで作られるようになった。東京都墨田区にある廣田硝子の創業は1899年。4代目社長である廣田達朗さんは、代々受け継がれた手作業の「和ガラス」にこだわり、伝統的な技術の継承に心を配ってきた。「ガラス製品は書物や現物から再現できるものではありません。職人が日々生産し継承しなければ、やがて技術は途絶えてしまいます」。しかしガラス製品の市場は縮小しており、かつて国内に100社以上あったガラスメーカーも今では10社もない状況に。そんな中、廣田さんはECサイトや直営店、SNSでの発信、美術館「すみだ和ガラス館」の開館など、“もっとガラスに興味を持つきっかけを創りたい”という想いで老舗メーカーに新しい風を吹かせてきた。
100年以上続く老舗のガラスメーカー
廣田硝子は墨田区にある東京最古のガラスメーカーです。1899年に創業し、家業として代々受け継いできました。創業者である初代は、製造工場を自社で設け、販売とガラスづくりの事業を拡大しました。2代目は大正・昭和の時代をまたぎ、東京のガラス産業の発展に尽力しながら、他社とは違う製品づくりに励みました。私の父親でもある3代目は、大量生産の波に乗らず、手づくりのガラス製品にこだわり、大正時期の製品の復刻等に意欲的に取り組みました。そんな父はガラスへの愛がとても強く、蒐集家です。私は小さな頃から、グラスだけでなくほとんどのお皿も当たり前のようにガラス製品を愛用する家で育ちました。
初めて知ることになった「和ガラス」のこと
大学卒業後は日本酒関係の会社に就職をしました。廣田硝子の後継者である一族は他にもいたので、私が会社を継ぐ想定をしていなく、あえてガラスとは関係のない仕事を選びました。でも26歳のとき、父から「ガラスをやってみないか?」と誘われ、小さな頃から馴染みのあったガラスをやることが自然の流れだと感じて、廣田硝子への入社を決めました。
最初の半年は工場でガラスづくりの修行に励みました。そこではじめて、ガラスが砂からできていることを知りました。ガラスは原料である珪砂(けいしゃ)等を1400℃以上の釜でドロドロに溶かしてから成形します。独自の切子細工や凝った意匠を施す「和ガラス」は、製品になるまでの工数が多く、そのすべてが手作業です。ガラスが“こんなに暑く過酷な工場で作られている”ことに驚き、美しいガラス製品の技法やデザインについて一から学びたいと思いました。
「和ガラス」の魅力をもっと伝えたい
一般の人にもガラスについて知られていないというのが実情だと思います。そもそも日本でどんなガラス製品が作られているか知る人も少ないと思います。私の転機となったのは、フランスで行われた展示会に参加をしたこと。多くの方に「日本製のガラスは知らなかった」と驚かれました。現地で日本のガラス職人が独自の技法で生み出した「和ガラス」のデザインが高く評価され、大きな手応えを得ることになりました。このとき国内外の多くの人に“和ガラスの魅力をもっと伝えていきたい”という強い想いが芽生えました。
美しいものづくりの技術を継承するために
「大正浪漫」シリーズは、大正時代に作っていたものを復刻した製品です。乳白色の水玉や市松模様が入った独特のデザインで、日本独自の技法で作られています。復刻にあたっては当時の技術を知る職人を訪ね歩き、製法を一から教わりました。ガラス製品は現物や書物を見て作れるものではありません。人から人へと直接技術を継承するしかない。さらに技術を教えられても原料の配合から金型の成型まで、すぐ思い通りに再現できるものではなく、「大正浪漫」シリーズも多くの投資と試行錯誤の末に、3代目がようやく完成させることができました。
当時の技術を知る職人が存命だったことで「大正浪漫」シリーズは復刻できましたが、こうした美しいものづくりの技術は、継承する職人がいなくなれば失われてしまいます。それはあまりにもったいない。「和ガラス」の伝統と技術を守ることは、ガラス職人を目指す次の世代にとっての誇りにもつながると思っています。
職人がいるからこそ作れる製品
ガラス製品づくりは過酷だという話をしました。ガラス工場を維持していくことは本当に大変です。1400℃前後のガラス釜は常に炊き続けていないといけない。“火を消す”という言葉は、この業界では廃業することを意味します。ガラスは繊細で、どれほど工場内が高温でも冷房をつけることができません。また陶器や漆器と違って、成形に失敗してもやり直せないというガラスならではの特性があります。どんな環境下でも集中して作業に取り組まないといけない。
それでも職人たちは本当にガラスが好きで、オンリーワンの仕事にプライドを持って取り組んでいます。初期投資や製造コストもかかるため、工場でなければ作れない製品があることもガラス製品の特徴です。吹く、切る、炙る、冷ます、整える。1人ではなく、いろんな人が手をかけることで完成していくことも、ガラス作りの魅力と言えます。こうしたあまり知られていないガラスの情報を伝え、興味を持ってもらう人を増やし、最終的には買っていただくお客様を増やすことが、長くガラス食器に携わる会社の社長としての私の役割だと自覚しています。
個人のお客様に見てもらう機会を増やす
廣田硝子はもともと全国の百貨店や土産店との取引がメインでした。私の代から個人の方々への広報に力を入れ、ECサイトやSNSでの発信を始めました。2017年には直営店をオープン。当初、手打ちのレジを使っていましたが、もっと会計をカンタンに、各種キャッシュレス決済もできるようにしたいと思いAirレジとAirペイを導入しました。「和ガラス」は単価の高い商品も多く、全体の7割程度がキャッシュレス決済となっているので、Airペイを導入したことは経営的な面から見てもよかったですね。
個人の方に直接商品を販売するようになったことで、お客様の顔が見えるようになりました。最近は20代後半から30代後半にかけての女性が目立つ印象です。コロナ禍で家時間が増え、日常生活にこだわりのある道具を取り入れたい方が増えたのでは、と分析しています。2023年にオープンした美術館「すみだ和ガラス館」も、老若男女問わずさまざまなお客様にお越しいただいています。
ガラスの可能性と魅力を発信していく
「和ガラス」の伝統と技術は今後も守り続けていく考えですが、昔ながらのやり方だけでは、この産業を維持していくことは難しい。もっとガラスの可能性を広げていくことも必要です。新たな事業展開や、企業とのコラボレーションにも積極的に取り組んでいます。たとえば建築素材として切子模様を入れた平面ガラスを作ったり、壁がけ時計を作ったり。食器の枠に閉じない商品開発をすることで、職人たちにとっての新たなやりがいにもつなげたいと思っています。
そしてガラスのいいところは中身の味を変えないこと。古くからお酒に瓶を使うのは、そのままの味を封じ込めることができるからです。日本酒やワインの試飲の場でも、ガラス製品を使う方がより本来の味がわかるし、洗って何度でも使えるので環境にも優しい。そのような観点から当社ではガラスのリサイクルやリユースのプロジェクトを始めました。ガラスは“割れそうでこわい”といったネガティブな面から見られがちですが、ポジティブに本来の魅力を伝えていくこと、知ってもらえるきっかけを広げる活動を今後も積極的にしていこうと思っています。
- 廣田硝子 すみだ和ガラス館
- 東京都墨田区錦糸2-6-5
- 03-3623-4145
この記事を書いた人
羽生 貴志(はにゅう たかし) | ライター
ライター。株式会社コトノバ代表。「コトのバを言葉にする」をコンセプトに掲げ、いま現場で起きていることを、見て、感じることを大切に、インタビュー記事や理念の言語化など、言葉を紡ぐことを仕事にしています。
https://www.kotonoba.co.jp前康輔(まえ こうすけ) | 写真家
写真家。高校時代から写真を撮り始め、主に雑誌、広告でポートレイトや旅の撮影などを手がける。 2021年には写真集「New過去」を発表。
前康輔 公式 HP http://kosukemae.net/