Airビジネスツールズの歩み

HISTORYある事業者の10年

事業の数だけ
ドラマがある。
ある事業者の
10年のストーリー。

※2023年2月取材。2013〜2022年の10年間を紹介しています

この10年を振り返ったとき、変化がなかったという人は少ないだろう。
「Air ビジネスツールズ」にとっての10年と同様に、事業者それぞれにストーリーがある。
岐阜の老舗酒造である岩村醸造は、2013年に『Airレジ』が提供開始された直後から、
現在までずっと「Air ビジネスツールズ」を使い続けている事業者だ。
代表の渡會充晃(わたらいみつてる)社長に、この10年の歩みについてお話を聞かせていただいた。

〜2012

七代目として生まれ、
岩村醸造の蔵元になるまで

1971年、私は岐阜県恵那市岩村で、代々酒蔵を営む渡會家の長男として生まれました。小さな頃から、蔵元になることを家族や親戚から刷り込まれて育ちました。小学生の頃の文集を見ると、将来の夢は“跡継ぎ”と書いてあります。でも、その意味を深く考えることはなく、豊かな自然や、歴史の佇まいが残る岩村の町を駆け回り、のびのびと子供時代を過ごしてきました。大学は親の勧めで、東京農業大学の醸造学科に進学。学生時代にのめり込んだことは自転車レースです。成績がよくスポンサーもつき、海外のレースへも参戦しました。“このまま自転車で生きていこうか”と考えていた矢先、大学4年生のときに、親戚から“たまには飲みに来い”と促され、帰省して考えました。跡継ぎになるという親の期待があることを知りながら、大学まで好きなことをして生きてきたのだから、“いちどは酒蔵の仕事をしてから将来を決めよう”。まずは愛知県の酒蔵会社で1年半ほど勉強をさせてもらい、25歳で岩村醸造に入社しました。

元々ものをつくることが好きで、大学でも酒造りを学んだ人間です。酒蔵に入り、実際に酒の仕込みをはじめると、造った酒に愛情を持ちすぎてしまう。酒が可愛くて自分の気に入らない市場へは売りたくない。それじゃ商売になりませんよね。いつか蔵元になるのだから、売ることにもっと力を入れないといけない。うちが扱う商品は、どこかから仕入れて売るのではなく、容器も、ラベルも、価格も、自分たちで決めてつくることができます。アイデアを試す余地があって、すごく面白い。商売をすることが、自分のやりたいことだと気がつきます。入社から約15年間、営業として、宣伝担当として、誰にどんな売り方をするか、効果的な宣伝方法はないか、次々と新しいことを試してきました。そして2011年、40歳で岩村醸造の七代目蔵元になります。

2013

商品の売上統計を取るために
Airレジを導入

かつては日本酒の消費量は多く、卸業者や販売店に数多く売ることができました。しかし市場は縮小しています。このままではジリ貧となっていくことが目に見えています。経営者として新たな販売ルートを開拓していくことと、店頭での販売をもっと大事にしていこうと考えました。岩村醸造は岩村城下町にあり、通りに面した部分が店舗、奥のほうが酒を仕込む蔵となっています。当初使っていたレジは昔ながらのレジスター、いわゆるガチャレジです。一日の総売上はわかるけれど、どの商品がどれだけ売れたか、詳細の統計を取ることができませんでした。

何かいい方法はないか。ネットで調べていてPOSレジの存在を知ります。でも売上に直接つながらないシステムへと、高額の投資をすることはできません。諦めていたところ、ある日、リクルートから0円で使える「Airレジ」が提供されるという情報を目にしました。欲しかったものはこれだ! 使い始めた最初の印象は“なんて便利なのだろう、今後このようなアプリがビジネスを変えていくだろう”という予感です。念願どおり売上統計が取れるようになり、生産と販売計画が細かく立てられるようになりました。

2014

お店に来てもらう取り組みで
日本酒ファンを増やす

私が大事にしていることは「新しい日本酒ファンをつくること」です。市場の中でパイを奪い合うのではなく、新しい層を増やしたい。その第一歩はわたしたちの存在を知ってもらうこと。蔵見学や店頭で実際に見て、話を聞いてもらうことが、日本酒の魅力に気がついてもらううえで効果が高いし、試飲してもらって、お客様の生の声を聞くことで商品づくりに活かすことができます。当初は、商圏の大きい東京などに販売網を増やすことも考えていたのですが、百貨店のバイヤーなどに話をしにいくと、“このパッケージじゃ売れないよ”と。“筆文字のようなわかりやすい酒じゃないと売れないよ”と言われます。味を評価するのではなく、そういう見方をされるのだとがっかりしました。そこでまずは、地元の東海エリアで直接味わっていただく機会を増やし、地道に知名度を上げていこうと考えました。

2014年には、恵那市初の電気自動車充電スタンドを設置しました。町の景観を損なうものを設置することは本来できないのですが、地元には、新しいお客様に岩村に来てもらうことが目的であると強く説得しました。景観の問題は木の枠で囲うことで解決しました。充電には30分程かかるため、その間にお店に立ち寄り、地域の観光もしてもらえます。岩村醸造はもちろんですが、岩村という土地に足を運んでくれる人をどうやって増やしていくか。それはずっと考えている大きなテーマです。蔵の名前を、家名の渡會ではなく岩村醸造としていることにはこだわりがあります。土地の名前を冠して営んでいる酒蔵は全国でも少ない。1787年創業で、当初はお酒に加えて味噌と醤油も造っていた歴史を踏まえて、醸造という言葉もあえて残しています。この地で長く商売をしてきたことに、強い誇りがあるし、深く感謝をしています。地元に貢献していくことは、私の使命だと思っています。

2015

日本酒の魅力を広めるために
世界を飛び回る

「Airレジ」は導入当初は1台だけの利用でしたが、バスツアーやイベントで多くのお客様が来店されると行列ができ、レジの混雑を見て帰ってしまうお客様がいることから、iPadを3台に増やしました。スムーズに会計が進むことで、販売機会のロスが防げるようになりました。物産展などに出展する際もiPadを持参して「Airレジ」で会計をしています。どこで使っても、すべての売上データがクラウド上に蓄積されていくので管理がしやすい。今ではお店の運営にすっかり溶け込んだ存在です。

この頃から海外での販促活動にも力を入れるようになりました。シンガポール、香港、フランスなど、日本酒に関するイベントがあれば足を運び、現地での人脈を広げてきました。なかでもフランスには毎年のように通ってきました。今でこそSAKEは世界共通語として、和食とともに世界に広がりつつありますが、実際に飲んだ経験のある人はまだまだ限られます。お店を借り切って地元のフランス人に日本酒を味わってもらい、地道に味の認知を広げてきました。その成果が近年になってようやくあらわれ、海外への輸出量が商売として成立するぐらいにまで増えてきました。

2017

作業場だった
スペースを改装し、
角打スペースを設置

お店の大きな変化としては、それまで通販用の作業スペースだった場所を、角打ちが楽しめる場所に改装したことが挙げられます。角打ちとは、酒屋で購入した商品をそのまま店内で飲むこと。岩村城下町には座って休めるベンチのような場所があまりないため、少し休憩したいお客様のニーズにも合致すると考えました。

店舗では自家製の甘酒ソフトクリームも販売しており、お酒が飲めない人でも店内でゆっくりすることができます。この場所に酒蔵があるということを知ってもらうきっかけづくりになるし、お酒を目的として来る人には、いろいろな酒を試してもらう場にしたい。だからカップ酒はラインナップから外せません。酒蔵だからといって構えずに、初めての人でもふらっと入ってきて欲しい。大きな利益にはならないけれど、まずは知ってもらう機会をつくることが大事だと思っています。

2018

岩村がNHK朝ドラの
撮影地となり
観光客が急増

岩村城下町がNHK朝ドラ「半分、青い。」の撮影地となり、見たことのないような大勢の観光客が岩村に押し寄せました。週末や大型連休はめまいがするほどの忙しさ。甘酒ソフトクリームが次々と売れていきます。通常の5倍ほど来客数が増え、売上もかなり多いと錯覚しましたが、「Airレジ」で昨年の数字と比較すると倍に届かないぐらい。データを見て冷静に判断することも大事だと実感しました。この頃からじわじわとキャッシュレス決済のニーズが増えてきたことから「Airペイ」を使う機会も増えてきました。

岩村は2023年公開の映画「銀河鉄道の父」のロケ地にも選ばれました。こうした機会に観光客が多く訪れることはありますが、あくまで一過性のものとして捉えるようにしています。もちろんロケ地に選んでもらえることはありがたいこと。私は2022年に恵那市観光協会の岩村支部長になりました。地域のみなさんと協力しながらこの美しい町並みを守り、岩村の自然や食といった多様なコンテンツの魅力も発信していきたいと思っています。

2019

フランスの日本酒コンクールで
金賞を連続して受賞

2017年にフランスのパリで、欧州市場での日本酒の普及を目的としたコンクール「KURA MASTER」がはじまりました。これまでフランスに通い続け、人脈も築いてきたことから、情報を聞いてすぐに応募をしました。「KURA MASTER」はフランス人のソムリエが審査することで、日本国内の品評会よりも、お酒の個性の強さが評価される傾向があります。国内の品評会はどちらかといえば減点方式。大吟醸など価格帯が高く、酸味や苦みなどに欠点のない酒が最後まで残ることが多い。でも、私には、その酒が表現している個性をこそ評価して欲しい気持ちがありました。

岩村醸造が酒造りでこだわっていることは、飲み飽きないお酒。個性はあるけれど、一杯飲み干した後、すぐにもう一杯飲みたくなるようなお酒です。特別な機会ではなく、日常的に楽しんでもらうお酒を提供したい。大吟醸から純米酒まで値段の幅はありますが、どのお酒を選んでも安定して美味しいと思ってもらえる酒造りを大事にしています。

岩村醸造は「KURA MASTER」の初回から3回連続で金賞を受賞。2021年には最高賞であるプラチナ賞に輝きました。自分たちが大事にしてきた味の個性が評価されたことが嬉しかったですね。まだまだ知名度が高いわけではないので、選んでいただくためには地道な活動を続けていくしかない。賞の冠がつくことで、欧州の方に手に取っていただける機会が増えることに大きな価値を感じています。

2020

コロナによる大打撃。
外出自粛と酒類提供の禁止

コロナの影響は本当に酷かったですね。不要不急の外出自粛で誰も外を出歩かない。しかも飲食店では酒類提供が禁止されました。飲食店に卸していた需要が一気になくなり、店舗も開店休業状態です。“酒が悪者かよ”と、愚痴もこぼれるほどでした。このときばかりは物事を前向きに捉えることができなかった。でも、経営者としてなんとか岩村醸造を守っていかなければいけない。頭の中はそのことでいっぱいでした。

これまでいろいろと新しいことにチャレンジしてきましたが、足踏みせざるを得ない。この時期を耐え抜くために、雇用調整助成金の申請などを行い、飲食店の卸をどうやって戻すかを考えながら、店舗やインターネットでの販売にあらためて力を入れることにしました。でもコロナ前にはバスツアーで1日に3台、多ければ8台ほど来ていたお客様がゼロに。2月から3月にかけて毎週開催し、1日に最大1000人がお越しいただいていた蔵開きのイベントもできなくなってしまった。本当に苦しいし、先行きが見えないことが怖かったですね。

2021

苦しい環境の中で、
経営者として感じた責任

2011年に蔵元を継ぎ、最初の10年は経営者よりもむしろ商売人として、“酒を誰に、どうやって売り込むか”を考えて行動してきたように思います。でもコロナ禍で、経営者としての自分と向き合う必要に迫られました。長く続く岩村醸造をどうやって守っていくか、売上げをつくっていくことはもちろんですが、ここで働く仲間たちをどう支えていくかを、深く考えるようになりました。コロナの後遺症で苦しむ人もいます。働き方が変わり困っている人もいます。そうした従業員が抱える悩みを、私が深く理解して会話できなかったことで、退社をしてしまう人がいました。本当につらかった。落ち込みました。今まではみんなに自由にしてもらうことが風通しのよい職場だと思っていました。でもそうではなかった。何がやりたいのか、その背景には何があるのか。しっかりコミュニケーションを取り、相手を知ることが大事なのだとあらためて気がつきました。

2023

3年ぶりの蔵開きを開催。
一歩ずつ次へ向けた活動を

酒蔵の一大イベントである蔵開きを3年ぶりに開催することができました。コロナ対策のため、酒の提供方法はセルフではなく従業員がサービングするシステムに変えました。1度やめていたことを復活させることは非常に労力がかかるし、本当にお客様に足を運んでいただけるのか、実施するまで不安でした。蓋を開けてみると、来訪いただいたのは、かつての6割程度の人数。それでも、ようやく回復の兆しが見えたことに希望を感じました。やっと本格的に、販促活動もできるようになった。いま興味を持っているのは「Airメイト」を活用した経営分析です。数字だけではなく、グラフィカルに状況が把握できるところがいいですよね。次の施策のアイデアを練るツールとして使ってみたいと思っています。

私が蔵元になったタイミングと、ほとんど同時期に就任した杜氏と、二人三脚で酒造りをしています。私が、余韻にふくらみがあるとか、酸を際立たせたいといった酒のイメージを伝えると、杜氏がそれを酒として表現してくれます。彼は本当に真面目な男で、その性格が酒にも表れます。酒の仕込みに使うのは木曽川水系の天然水。濾過せずそのまま使えるキレイな水と、岐阜の酒米で造る酒は、澄み切って綺麗で飲み飽きない。たくさんのお客様に喜んでいただけるお酒だと自負しています。まずは1度味わって欲しい。日本酒の魅力を多くの人に伝え、新しいファンを増やしていくこと。生まれ育った愛着のある岩村という地に多くの人を呼び込むこと。しばらく足踏みしてしまったけれど、ようやく前を向いて走り出せます。大切な仲間たちと一緒に、岩村醸造をもっと魅力ある蔵にしていきます。

  • 執筆:羽生 貴志(はにゅう たかし)/ライター
  • 撮影:前 康輔(まえ こうすけ)/写真家