STORYストーリー

酪農の未来、そして地域の未来のために。世の中の不均衡を調和させる存在になりたい。

  • 千葉ウシノヒロバ
  • 川上鉄太郎
  • (かわかみてつたろう)

東京都心から車で約1時間。千葉市若葉区の自然豊かな里山に2020年オープンした「千葉ウシノヒロバ」は、キャンプ、マルシェ、乳牛を育成する牛舎の見学などを通じて、自然が体感できる観光拠点だ。広々とした敷地に、ゆったりと施設が配置され、都会の喧噪を離れた穏やかな時間が過ごせる場所として、キャンプ好きや、地域で暮らす人々、観光で訪れる多くの人を楽しませている。月額定額料金でいつでも利用できるキャンプに登録しているメンバーは200人以上。コロナ禍のオープンだったが、野外で安心して遊べる施設として、順調にお客様を集めてきた。ここはもともと千葉市の乳牛育成牧場だった場所。しかし長年採算が取れず経営難が続いていたことから、施設を再生させるアイデアが公募された。そこで手を挙げたのが、東京でデザインコンサルティング会社を経営しており、現在は牧場の代表も兼任する川上さんだ。酪農の素人であり、千葉とは深い縁のなかった川上さんが、なぜ千葉という土地で酪農に関わり、地域を再生させる事業をすることになったのだろう?

小さな頃から“生きる意味”を刷り込まれた

事業を経営している父のまわりに、いろいろな大人が出入りする家で育ちました。周囲をよく観察して、どう振る舞うかを考える。そんな大人びた子供だったと思います。今でも思い出すのは、小さい頃、父とお風呂に入ると毎回言われた「何のために生きているか、わかるか?」という言葉。「まずは地球のため、社会のため、国のため、それから、まわりにいる家族や友人のため、最後が自分のこと。この順番で考えるように」と。最初は質問の意味すらわかりませんでした。でも成長するにつれて、問われてきた“生きる意味”を考えるようになります。中高生時代は文化祭の実行委員の活動に熱中し、親の勧めもあって大学は法学部に進みますが、弁護士は僕のなりたい職業ではないと気づきます。なかなか自分の道が見つからなかった。最後のチャンスと思い、英国の大学院に留学し、そこで“自分は何者なのか”という問いと、いよいよ真剣に向き合うことになります。

自分の強みは“情報整理”と“想像力”

英国の大学院を選んだのは、さまざまな国籍の人が集まる学校に行きたいと思ったこと。ぬるま湯の環境で育ってきた自覚があったので、それをぶちこわしてみようと。選んだのは社会人が多く集まるビジネススクール。90人のクラスに23カ国の学生がいました。今までの常識が何も通じない環境です。自分のアイデンティティを示していかなきゃ、誰も相手にしてくれません。授業やワークショップを重ねるなかで、複雑な情報を解きほぐして整理していくこと、他者の気持ちを想像して発言や行動をすることが自分の強みだと、周囲から言われ気がつきます。子供の頃に大人を観察していたこと、中高生時代に文化祭の委員会で調整役をしていたこと、大学では大量のCMや広告を収集して分類する活動が好きだったこと。その経験がここにつながりました。グループワークでの自分の役割がはっきりし、頼りにされるようになり、1年目に上位の成績をおさめることができました。それが大きな自信になり、自分を活かす道が見つけられました。帰国後は、コンサルティング会社に就職。さまざまな企業のプロジェクトに参加し、多くの経営陣と接した経験は、今の仕事に大きく活きてきます。

デザイン会社を起ち上げ、行政の課題に関わる

20代後半で自分の会社である「チカビ」を起ち上げました。やりたかったことは、デザインとコンサルティングを融合させたサービス。美大出身のデザイナーと2人ではじめました。当初は仕事を依頼してもらう難しさに直面し、とても苦労しましたが、ビジュアルデザインの依頼の裏側にある課題を解決するためにコンサルティングのアプローチを用い、ヒアリングや市場調査で課題を掘り起こし、デザインで実現していく提案をしてきました。困っていることを解決するためのデザインでありコンサルティングです。次第にリピートしてくださるお客様が増え、2017年頃、千葉のクライアントとのご縁ができました。廃園となる保育所の再活用を考えて欲しいという行政からの相談です。九十九里の魅力を発信しながら加工食品製造と流通を行う拠点へと再生させたこの案件をきっかけに、千葉の行政とのご縁が深くなり、千葉市の公募へと繋がりました。テーマは、経営難で困っている乳牛育成牧場を再生させること。その背景を調べていくなかで、大きな社会課題に直面します。

牧場を残すため、観光事業で黒字化を

近年、日本の酪農家の多くが経営難に直面しています。飼料価格の高騰や人材不足による生産効率の低下など要因は様々ですが、酪農で生計を立てることが難しい状態になっている。このままでは日本から小規模酪農家がいなくなります。でも本当に無くしていいのだろうか、そこから考えなければいけないと思いました。とはいえ、僕も酪農のラの字も知らない素人です。いきなり酪農をはじめても赤字になることはわかりきっています。そこで、この広大な敷地を活用して観光事業を立ち上げ、そこをどうにか黒字化することで、まずは牧場の延命措置を施そうと思いました。そして、酪農組合、酪農家、地域の方々、大学の先生たちと牧場のスタッフとで酪農のことを考え、実践していく場所にしようと。酪農の未来を思い描き、まずは10年先までに「千葉ウシノヒロバ」で実現したいことを考え、1年ごとの計画に落とし込み、提案したプランが採択されました。

日本の酪農、地域にとって意味のあること

日本の酪農に寄与すること、この地域の酪農家に寄与すること。この2つをぐるぐると考えました。現在「千葉ウシノヒロバ」は4つの事業を展開しています。自然に囲まれた牧場で、キャンプやマルシェでの買い物、食事が楽しめる観光事業、酪農家の方から仔牛を預かり育成する預託事業、地域の農家の方と連携して地産地消を促進し、農業体験の機会を提供する農業関連事業、大学や専門家と酪農や農業に関する研究や情報発信を行う研究開発事業です。観光事業をのぞけば、すぐに成果が出るようなものはありません。たとえば東大の農学生命科学研究科と取り組んでいる研究テーマは“100年後の酪農”。先は長い。最初に提案したプランには10年先の計画までが書かれていますが、そこはゴールではなく、牧場で得た経験や知見を活かしながら、やれることを模索して、未来につながる場所にしていく。僕だけでなくスタッフみんながそんな思いで仕事に取り組んでいます。

都会とは違う価値観を感じられる場に

酪農、地域に加えて、もうひとつ考えたのはお客様のことです。地域のキャンプ好きの方々や、仔牛を預託してくれる酪農家の方はもちろんですが、頭に浮かんだのは東京で疲れている人の安らぎの場になれないかということ。毎日仕事が忙しく、元気をなくしている多くの知人を目にしてきました。東京の競争社会や消費社会は、疑問を感じても抜け出すことは難しいし、肌に合わないと感じている人もたくさんいます。そういう人が東京から1時間ぐらいの場所で、都会とは違う価値観で楽しく生きていることを感じられれば、ちょっとでも日常が変わるかもしれない。自然豊かな場所で気持ちを落ち着かせて欲しい。乳牛のための牛舎を、牛を敬う気持ちが自然と芽生えるように神社のような構えにしているのも工夫のひとつです。一人でキャンプ場にやってきて、日中はオンライン会議で仕事、夜はたき火をしながらお酒を飲んでいる。そんな姿もよく見かけます。

自ら考え行動するスタッフの存在

ここで働く人にとっても、楽しくやりがいを感じられる場にしたい。スタッフが持っているハンドブックには“自律性”“優しさ”“現実的”の3つの言葉が書いてあります。生き物を扱う責任もあるし、接客をともなうサービス業は、働いている人の気持ちがダイレクトにお客様に伝わります。だからみんなに、ここの場所をどう作りたいかを考えて欲しい。オープンから2年が経過して、今では酪農や地域のこと、そしてお客様のことを考えて、自ら実践していくスタッフばかり。何より仕事を楽しんでいる姿が自然と感じられます。それは本当に嬉しいですね。もちろん楽しむだけじゃなく、事業として商品やサービスを充実させることで、客単価をどれだけあげるか考えないといけない。そのときに役立つのがAirレジを使った売上分析です。どの商品が売れているか、購買単価はどうか、来場者数に対する購買人数は、といった分析をして、新しい商品の仕入れやお店の改善に繋げています。ミルクバースタンドなどは提供スピードの短縮が重要なので、素早くキャッシュレス決済ができるAirペイも非常に役立っています。

酪農と地域のために自分にできることは

小さな頃から刷り込みのように父に言われてきた “何のために生きるか”という問い。そして、広く地球や、社会という視点から考えるということ。いろいろ仕事を経験して、その面白さがわかってきたように思います。今回であれば、酪農という日本の課題のひとつと向き合い、情報を整理すること。生産者と消費者、双方の立場に立って未来を想像すること。この地域の暮らしがどうなっていくのだろうということ。自分にはどんな貢献ができるだろうかということ。社会的なテーマに対して、考えて、行動することが好きなんだと思います。

振り返ると、自分がずっとやりたいと思ってきたことは“調和”させることです。世の中のいろんな不均衡や不調和の間に入っていき、解消していく存在になりたい。それができるならどんな業界でもかまわない。今は酪農業界と地域と消費者の間に立って、どう調和させるべきかを考えている最中です。

  • 千葉ウシノヒロバ
  • 千葉県千葉市若葉区富田町983-1
  • 043-235-8376
※この記事は公開時点、または更新時点の情報を元に作成しています。

この記事を書いた人

執筆

羽生 貴志(はにゅう たかし) | ライター

ライター。株式会社コトノバ代表。「コトのバを言葉にする」をコンセプトに掲げ、いま現場で起きていることを、見て、感じることを大切に、インタビュー記事や理念の言語化など、言葉を紡ぐことを仕事にしています。

https://www.kotonoba.co.jp
撮影

前康輔(まえ こうすけ) | 写真家

写真家。高校時代から写真を撮り始め、主に雑誌、広告でポートレイトや旅の撮影などを手がける。 2021年には写真集「New過去」を発表。

前康輔 公式 HP http://kosukemae.net/